「海を見ていた」
馬蹄形に海を囲い込むことで東京湾を形成する二つの土地、三浦及び房総半島は、その海岸線にいまでも多くの軍事的な遺構をとどめている。江戸末期の防衛構想によって火砲の射線を結び糸として関係づけられた両半島は、この国の近代化と歩みを共にするように、首都防衛における要害の地として武装化されていった。
誰かが海を見ていた。このように書きつけるとき、一つの響きのうちに、重なりあう地層のような時間が現れることを、ある夏の洞窟陣地はわたしに示していたように思う。いまはここにいない誰かの手が岩肌を削り、その身体の軌跡を記録したのだ。開口部からはいま、眩しい海が見える。同じ波など一つとしてないこの海は、つねにその姿を変え続け、それゆえに、いつのときも海はこの目の前のようであったのかもしれない。焼きつくような光が網膜に結ばれるこの位置は、かつて誰かが立っていたその場所だろうか。
本土決戦を前にして、多くの暗がりが海に面して掘削された。アジアを統べる覇権国家として、列強と肩を並べるために飽くことなく続けた軍備拡張の行き着いた先、近代科学の粋を尽くした総力戦の果てに、その場所が在った。
目の前に立つカメラが海からの光を遮り、わたしの体に小さな影を落とす。わたしに届くはずだった光の幾らかが、レンズの奥の暗闇に潜んだ銀粒子に留められている。誰かのようにわたしもここに立っていたことを、一葉の写真が、もはやわたしの知り得ない時まで残り続け、証し立ててくれるだろうか。そのとき、わたしもまた、誰かと呼ばれるのだろうか。誰かが海を見ていた、と。
木漏れ日の中で、遺構の輪郭は徐々に草木や土の中に溶けていく。砕かれた岩を砕けた岩から別つものはなにか。それは記憶、そして記録に他ならない。
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