本作の始点は祖母の死に際して撮影した一枚の写真にあるだろう。祖母の存在を、そしてその生きた時間の長さとそれに伴う時代の変化を思うとき、私はそこに自らが生き得なかった時間を過ごした者に対する、どこか、遠さにも似た感覚を覚えた。
 次第に私は写真の像として残された、もはや物言わぬ存在となった祖母の身体を、過ぎ去った時間を伝えるメディウムのように考え始めていた。
 その夏、祖母の生まれ育った三浦半島で、私は或るひとつの暗がりに身を潜り込ませた。岩肌を矩形に穿つその場所は、太平洋戦争時に造られた陣地だった。まるで光学機器のようにその洞窟陣地は、私の目の前に広がる世界をフレーミングしてみせた。そして、そこから見える眩しい海を、私はたしかに美しく感じたのだ。
 いま私とカメラを包むその暗がりから、かつて海を眺めた視線が在ったはずだ。来るべき敵兵を待ち受けるその目は、時々の光に応じて移りゆく海の色や、朝に夕に表情を変える空を、私のように、眺める瞬間はあったのだろうか。
 私は海岸線を歩き始めた。三浦半島から、次第に、房総半島へと。東京湾を挟むように存在し、江戸時代には海防の要所としていくつもの砲台が築かれた二つの半島には、いまも多くの遺構が海を望む場所に残されている。その場所に立つこと、そして過去を想像すること、そのどちらもが等しく私には必要に思えた。
 祖母の体も、洞窟陣地も、砲台跡も、レンズの前にいまここのものとして在りながら、それは、いまここでない瞬間を私に思考させる媒介となった。様々な写真が祖母をうつした一枚の変奏に見えたそのとき、過去そして歴史とはく隔たったものであることを止め、私の立つこの場所へと続くものとして、の像を現したのだ。
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